1994年の1月から7月まで家具新聞に連載したものを掲載してあります。(全12回)

はじめに

日本にオリンピックが開催された翌年(1965年)、私は、東京医大で膿胸の手術を受け、術後の身を北軽井沢の山小屋で療養の為過していた。

その頃、「建具と木工」と言う業界誌の若い記者の訪問を受け、「木工教育百年の歴史」というテーマで寄稿してくれるよう依頼を受けた。私が、かねがね、日本の木工史に興味を持っている事を知っての懇請であったのだろう。私は快諾した。静養の身で暇を持て余す日々でもあったから。 それから十日に一回、軽井沢から駒込の木工新聞社まで毎回原稿用紙で二枚分ほど送り続けたものである。それが12回程に達した頃、私の健康も回復して、久し振りで出京することになった。

ところが東京では、施行直後の家具物品税の問題で大騒ぎの最中であった。連載中の「木工教育百年の歴史」も、私が全国間接税連合会の常任理事に任命されることによって、休載がちとなり、遂いには、好むと好まざるにかかわらず、この渦中に巻き込まれ、「木工教育百年の歴史」は、それ以来、尻切れとんぼの終末を迎えてしまった。

期待していた読者には、大変ご迷惑をかけてしまった。この間、先輩諸氏から激励やらご鞭撻をいただき感謝にたえない。ましてや、未知の方々から、楽しみに読んでいるとのお便りをいただいた時には、本当に嬉しく、良い事をしたとの思いで一杯であった。

再び筆をとるにあたり、我が家具産業の今日までの発展あらすじを伝え、後日、立派な家具工芸史が出来る下地作りに貢献できれば幸いである。


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